赴任の日(1995年9月5日)
まだまだ、君のおかあさんと出会う5年以上も前の話だ。
JAL便でニューヨークへフライトの日。
わが社は海外赴任だと、自宅から空港までは、タクシー、そして、だれでもビジネスクラスで現地へ追い出される(笑)。私が住んでいたのは、当時は、千葉県新松戸だった。そこからタクシーで成田まで90分程度掛かる。タクシーで空港まで行くなんて贅沢だねぇ。
成田空港には、会社から約20名ほどの見送りがきてくれた。
感謝、感謝である 。上司、会社の同僚、家族、友人、昔の彼女等多勢来てくれたのには嬉しかった。
こんな方々が一同に集まることもないので、どう皆と話せばいいのかおとうさんも戸惑ったよ。フライトまで、1時間程度、来ていただいた方々と歓談して最後、皆とお別れするとき・・・,ちょっと涙ぐんじゃったなぁ。
さて、皆と別れて、JAL 便に乗り込み、優雅にビジネスクラスで約12時間のフライトだ。30歳で初のビジネスクラスだ。(息子たちよ、お父さんよりも、君たちはもっと若い年齢で乗れるように仕事にがんばれ!)
そのフライトではオーロラを観ることができた。
わざわざ、フライトアテンドさんが教えてくれたんだよ。
でも、本当にオーロラだったのかな~って感じだった。
そのフライトではオーロラを観ることができました。
ケネディー空港につくと、人事部の担当が向かえにきてくれていた。私より1年後輩らしい。
そして、ここ、ニューヨーク本社で2日間、米国生活での手続きや研修を受けるんです。
その内容は・・・
アメリカでの生活の概略
ソーシャルセキュリティーナンバーを申請
銀行の口座を作成。
など・・・
受け入れ研修では、
“飲酒運転はご法度です・・・”
といっておきながら、・・・・・
その夜、一緒に飲んだ人事担当者(私より、5年程度上の先輩)は、私をレストランへ連れて行ってくれて、ステーキと・・・2人でワインを1本空けたさ。
受け入れ研修で、飲酒運転は、だめ!っていってたのにねぇ。
そして、私は2日間の研修を受けて、デトロイトへ移動!
そう、私は、ニューヨークで働くのではないんだ。
今回働くことになる太陽電池の会社の本社がミシガン州にあるのである。
そこでは、また、人事担当(朝比奈さん、元気かな~?、この人は日本帰国後、会社を辞めた)がデトロイトまで迎えにきてくれていました・・・(まだ、まだ、観光気分が抜けず、なんでおれは、ここにいるんだろう?っていう気持ちだった)。
ミシガンでは、ホテル(サマーセットイン)に1週間滞在しながら、会社の概要から、太陽電池製造について学びました・・・。奥が深いね~、太陽電池技術も・・・。
そして、またまた、9月中旬、カリフォルニア サンディエゴに移動。
そう、私は住むのは、サンディエゴ なんだ。
デトロイト空港から、ロサンゼルス空港まで、約4時間のフライト。
ここで、初めて、アメリカってでけーな~と思ったさ。
国内移動で4時間だろ・・・。それに同一国内で時計の時間を変えることになるなんて・・・初めての経験ばかりだから・・・。
ロスでも、またカリフォルニアの人事担当者)が迎えに来てくれていたよ。 ハワイで運転はしたころあったけど、アメリカ大陸で運転したのは初めてだった。レンタカーを借りて、サンディエゴまで移動だ・・・。約2時間のドライブ。たのしいじゃんっ! まだまだ、観光気分だったよ・・・。
この日から1週間ほど、I-8号沿いのラディソンホテルにて宿泊。
その間に、自分の仮住まいの手続きををすることになる・・・。
翌日は、サンディエゴにある太陽電池販売のセールスオフィスへ挨拶。
そして午後は、メキシコ ティファナへ向かい、太陽電池メキシコ工場へ挨拶へ・・・。 結構、ハードな一日だったね~。
そうそう、私の勤務は、メキシコ工場を中心となったんだけど、サンディエゴオフィスにも、私のデスクが用意された。
私の仕事は、工場の生産管理とセールスと工場を繋ぐ製販業務。
アメリカ人とメキシコ人の仕事の間に、日本人が仲介して生産と販売を調整しスムーズに売上を増やして行く潤滑油的な役目だ。 今までは、アメリカ側がほしい製品がメキシコから、なかなか送られてこないから、機会損失が大きかったらしい。なんともまあ、ビジネスの基本ができていない会社だったよ。
これからどうなることやら・・・。
TO BE CONTINED
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